自分の取説

今日、久々に書こうと思う記事に出会った。

まず、同い年ながら尊敬する
『自分の仕事は、自分で作る』
から。

また、古い記事ながら、
『インターネットの備忘録』
から。

どちらも、異なるようで、自分には密接に関係することと感じた。

後者の記事を読むと、実体験からもよくわかる。特に、
「あなたを大切にしない人のことを、あなたが大切にする必要はない」
これほど、実感するものはないなあ。
人は物ではない。
上司によくあるが、自分の評価のために、下の者を物のような扱いをするような、あるいは、めくらばんのような上司になど、自分の時間、人生の一部を費やすことなど無駄なことはないといつも思う。
しかし、現実にはそこを通過しなければ、次のステージに行けないしで、どれほど葛藤したことか。
そして、今もだけど。
上に立ってみなければ、その景色はわからないのは、それはよく分かる。
だったら、上に立つ者は、下から上がって行ったのだから、下の景色を知っているはずだろう?
それが、そうではないから困る。
私の職場は、年功序列、そして能力がないと思われる者も、上に受けが良ければ、上になれてしまう、旧態以前の職場であったりする。
ひがみではなく、自分の能力やプレッシャーに耐えられない、ゴマすりなんて更にできないことを知っているので、管理職になりたくないし、なれないことは分かっている。
どうしてこんな人が上になってしまうのか?
と。

そこで、前述の、自分の取説に、自分では結びついた。
私は、何回か休職し、その度に復職して現在に至る。
異動がある職場で、私自身、何度も適応障害でやられている。
自分はこういう者だ、と予め説明していても、そこを汲んでくれないからと思っていた。
自分では、取説できていたと。
でも、分かっていたようで、自分の取説は間違っていたのかなと最近感じるようになった。
それは、具体的なところまではできていなかった、要するに、自分をそこまで深く掘り下げて、取説を作っていなかったなと。
このような時は、こういう対処をすれば乗り切れる、あるいは、ダメになってしまうというところの肝心な説明が不足していたのかなと。
今日、前記の新旧の記事から、改めて自分の取説を作成しようという気持ちになった。
ありがとうございます。
そして、それでもダメだったら・・・
逃げよう!!