月曜日は疲れるが

いつものこと。
しかも、なぜか4時半まで寝れなかったから余計に。
それで、何とか6時には眼を覚ました。
仕事中は忙しさもあり、眠くならなかった。
まあ、一つ同僚のお陰で、面倒な仕事が片付いたこともあって、気が幾分楽になったからかなあと思う。
それもこれも、姉御のような方に、心配も話せアドバイスを頂き、また仕事もお任せできるというのが、精神的に楽にしてくれる。
ガサツなようで、本当に周りを俯瞰できる人だなあと思う。
本当、仕事というのは、環境一つで全てが代わる。
何気ない一言かもしれないが、それでどれだけ助かることか。
仕事はできるできないもあるけれど、人間関係だなあと思う。
そのようなときは、自分も周りに自然と
優しくなれるし。
改めて、自分は、できるだけ、見返りを考えずに、与えることをしていかなければならないと感じた1日でした。

休み?

明日は、イベント事務局として仕事。
半日程度で終わる。
まあ、代休分くらいは働く。
自分としては、この程度のイベントを
わざわざ休みの日にする意味がわからない。
前にも書いたが、まさにワークあってのライフバランスなのだろう。
土日にしか、特に子どもを持った自分などはこのようなときにしか向き合えないこともあるのに、自分の時間を仕事に代えてまでやること?と思う。
代休がとれるからいいじゃん、ということは置いておき、じゃあ平日に半日で、その中身を代えられますか?
もちろん、否である。
昔は違った、土曜日も仕事だった。
それは分かっています。
自分だって、土曜日も学校で、
登校してたもの。
でも、仕事のときだけは、昔の話をされる中高齢の方が周りに多い。
でも、そのときはそれが当たり前であって、今は違うよと。
都合のいいときだけ、昔の物差しを持ってきてもらうのやめてほしいと思う。
(自戒も込めて)
言った言わないのような話になるので、すごく嫌だが、じゃあ昔?の人は、今の人員でやってましたか?
一人一人の仕事の範囲、責任が今と同じくらいでしたか?
違うでしょう。
今と一緒にするな!
と、言いたいのなら、もちろん
昔と一緒にするな!
ですよ。
誰が、ワークライフバランスとか推奨しているのですか?
政府?昔の人ばっかりじゃないですか。
あっ、だから、まずワークが先なのか。

今日は、明日の仕事への愚痴を書いてみました。

最後に、授業参観での写メはやめよう。
しかもシャッター音つきで。
まあ、余りにムカついたので、注意した自分だけどね。
あっ、ここは昔の人?なのか?
まあ、でもある程度常識は持たなくちゃね。書いてないからとか、言われてないからとか子どもの屁理屈と一緒だよ。
記録に残すよりも、記憶に残しておきなさい!


記録

休みを兼ねて通院の予定。
しかし、昨日母方の祖母がICUに入り、
母とまずそちらに行く。
昨年は、母方の祖父を亡くし、もしや、
と思ったが今の所は意識もしっかりあり、大丈夫そう。
まあ、何があるかわからないが。
この歳になると、身内もかなり高齢で、
いつ何時このようなことが起こるかわからない。  

自分は、既に、エンディングノートのようなもの?は作ってある。
もちろん、何かあったときのために。

前に、死を意識する者はそれ以上に生きることに飢えている、ようなことを見たような気がするけれど、あまりそういう大袈裟なところまではいかないし、
ただ、いざというときに備えただけだし、書けば、あれもあったなあ、これもあったなあという、自分の頭の中にあるものを整理しておくことで、余計な心配が一つでもなくなるのは、ある意味自分に合ってるので。
今日は、死というものを、改めて考えたかなあ?という1日でした。

名ばかりノー残業デイ

水曜日は、ノー残業デイらしい。
人を減らし補充はなく、個人の負担増やしておいて。
早く帰って、ワークライフバランスとかですか?
そもそもワークライフバランスって、
なぜワークが先なのか?
まあ、聞いてもわからない面々だろうし、面倒だから聞きもしませんが。
ライフあってのワークだと思うけど。
なんか、個人的に保育所の入所に似ているような気がする。
優先順位のつけ方が。
家人が、5年前ほど前に3番目を入れたいと保育所、というか役所に行った。
止むを得ず、前職を退職し、ほぼ次の職に決まりそうなところだったので、保育所に入所したいということで。
まあ、予想はしていたが、役所からは、
職も決まっていないので、受け入れられないということだった。
まあこの国のシステムはそうなのだろうが、子ども抱えたままで、逆にどこが採用してくれるの?
小さいお子様がいても大丈夫です、なんていうわりには面接に行けば、今は小さいお子様と一緒にいられた方がとか。
どいつもこいつも反対のことばかり言いやがると、自分だったら切れますねえ。
題名からかなり脱線しましたが、矛盾だらけの言葉ばかり並べてないで、もっと真っ当なことから始めるべきじゃないかなあと思った1日でした。
お聞き苦しい?ことを書いてしまいましたが、まあ誰も見ないからいいか。
そんなことを思った日もあったなあということにしよっと。


まず取説をみてください。

仕事行きたくないなあ、という気持ちになるくらい鉛のように体が重かった。
そんな気持ちを何とかこらえ、薬を飲み車に乗る。いつも、ここまでがしんどい。あとはそれなりに流れにのるしかないのだが、ここのルーチンが、自分には非常に面倒であり、かつ、時計との勝負になり、さらに疲れる。
職場につけば、また、見たくない方々。
さらにどっと疲れ、併せてテンションが下がる。
どうでもいい管理職が真っ先に来てるのくらい具合悪いのもない。
まあ、相手にもされないし、相手にする気もないけど。
当の本人が、職場の雰囲気を悪くしているのが分からないから困るし、面談でハッキリ言ってもわからない。
まあ、放置しておくしかない。
でもなあ、放置してても、腐ったリンゴが一つあれば、周りも腐るしなあ。
よりによってデカイ、リンゴだしなあ。
労働安全衛生法なんて出しても、ポカンとされちゃなあ。
いっそのこと、お会いしないように在宅勤務にしてくれないかなあ。
始業から終業まで、一言も交わさないしなあ。
でも、このような人だからこそ、自分の取説作って見せようかな。
まあ、取説見ないで、あれはどうするの?これは?
なんていう人だろうけど。
だから、まず、取説をよくお読みの上、それでもわからないなら、カスタマー(人事)センターへご相談ください。
と言ってやろうと思う、憂鬱な月曜日でした。
あー、今週は土曜日も仕事で顔合わせるのか。沢山だなあ。

地震被害に遭った者の個人的感情

私は、東日本大震災に直撃された東北人で、更に津波にも遭った沿岸部に住んでいます。
熊本や大分の方達とは被害が異なりますが、形ばかりの支援はよく見えなかったし、実際に支援に来ていただいた方達や給水などの支援が非常にありがたかったと個人的に感じています。

地震津波をまともに受け、全てを壊し、全てを持っていくというのには、自然にはどうやっても勝てないのだなと改めて感じたところです。

ところで、原発の話になりますが、その時は被害は一時的なものしか聞こえてこなかったような気がします。

あれほど、沿岸にあって、地震津波も受けて、被害が一時的ということがありますか?
それから、どれほどの嘘が出てきたことか。管理の杜撰さも湧き出るように出てきましたし、被害に遭った自分としては、原発に限って言えば、大丈夫だとか安心をとか管理はしっかりしていますとか、そのようなことは一切信じないつもりです。まさにこれこそ戯言。お上の言うことだなと。

被害に遭った者としては、そんな戯言ではなく、どのような被害に遭って、どのような状況にあるのか、今後、将来的にはどうなるのかをはっきり示してもらったほうが遥かに良いです。

悪いことをして嘘を隠すような幼稚なことをされるより、もっと大人の対応をしてもらいたいと感じます。
私は、推進派とか反対派とかそんなことはどうでもいいのです。
そんなことを言っている暇があるのなら、現実に今後どうしていかなければいけないのかを示さない色々なモノに対し不信感をもっているだけです。

被害に遭った、また、今も遭っている方達は、今は、その日をどうするかしか見えない現状だと私は思います。
震災に遭って1カ月以上も、ライフライン関係が復旧しなかったことを思いだします。
原発など、それからの話で、今日1日をどう暮らしていくのかしか見えなかったし、情報もラジオくらいしかない中で、原発などと思った記憶もあります。
だからこそ、被害に遭わなかった者としては、同じ轍を踏まないように、個人的には被害に遭った方達が元の形に戻るまでの支援と、原発を含め、確かな情報を発信していくことが必要だと感じ、記しておきたいと思いました。

自分の取説

今日、久々に書こうと思う記事に出会った。

まず、同い年ながら尊敬する
『自分の仕事は、自分で作る』
から。

また、古い記事ながら、
『インターネットの備忘録』
から。

どちらも、異なるようで、自分には密接に関係することと感じた。

後者の記事を読むと、実体験からもよくわかる。特に、
「あなたを大切にしない人のことを、あなたが大切にする必要はない」
これほど、実感するものはないなあ。
人は物ではない。
上司によくあるが、自分の評価のために、下の者を物のような扱いをするような、あるいは、めくらばんのような上司になど、自分の時間、人生の一部を費やすことなど無駄なことはないといつも思う。
しかし、現実にはそこを通過しなければ、次のステージに行けないしで、どれほど葛藤したことか。
そして、今もだけど。
上に立ってみなければ、その景色はわからないのは、それはよく分かる。
だったら、上に立つ者は、下から上がって行ったのだから、下の景色を知っているはずだろう?
それが、そうではないから困る。
私の職場は、年功序列、そして能力がないと思われる者も、上に受けが良ければ、上になれてしまう、旧態以前の職場であったりする。
ひがみではなく、自分の能力やプレッシャーに耐えられない、ゴマすりなんて更にできないことを知っているので、管理職になりたくないし、なれないことは分かっている。
どうしてこんな人が上になってしまうのか?
と。

そこで、前述の、自分の取説に、自分では結びついた。
私は、何回か休職し、その度に復職して現在に至る。
異動がある職場で、私自身、何度も適応障害でやられている。
自分はこういう者だ、と予め説明していても、そこを汲んでくれないからと思っていた。
自分では、取説できていたと。
でも、分かっていたようで、自分の取説は間違っていたのかなと最近感じるようになった。
それは、具体的なところまではできていなかった、要するに、自分をそこまで深く掘り下げて、取説を作っていなかったなと。
このような時は、こういう対処をすれば乗り切れる、あるいは、ダメになってしまうというところの肝心な説明が不足していたのかなと。
今日、前記の新旧の記事から、改めて自分の取説を作成しようという気持ちになった。
ありがとうございます。
そして、それでもダメだったら・・・
逃げよう!!